「利上げの頂上に達したと言える状況にはない。我々はまだ登り続けなければならない」
2023年6月15日、ラガルドECB総裁は記者会見でこう語った。同じ週にFRBが利上げを「スキップ」したのとは対照的に、ECBは主要政策金利を3.75%から4.00%へ引き上げた。22年ぶりの高水準だ。
FRBとのテンポの違い
ECBとFRBの利上げサイクルには、約9ヶ月のタイムラグがある。FRBが2022年3月に利上げを開始したのに対し、ECBは2022年7月にゼロ金利を解除した。このため、FRBが頂上に近づいている2023年半ばでも、ECBはまだ登山の途中だった。
ユーロ圏のコアインフレ率は5.3%であり、目標の2%からはほど遠い。食品価格は前年比12%上昇している。家計の購買力は深刻に毀損されている。
ユーロ圏特有の難しさ
ラガルドの仕事はパウエルのそれよりも複雑だ。ECBは20ヶ国の経済を一つの金利で管理しなければならない。ドイツはすでに景気後退に入りつつある一方、南欧のインフレは依然として高い。
- ドイツ: 2023年Q1のGDP成長率は-0.3%(テクニカル・リセッション入り)
- スペイン: インフレ率は鈍化傾向だが、コアは依然6%台
- イタリア: 政府債務はGDPの144%、金利上昇が財政を直撃
「正しい金利水準」はドイツとイタリアでは全く異なるが、ECBは一つの金利しか設定できない。これは構造的なジレンマだ。
ラガルドの記者会見を見ていると、彼女が直面している「不可能なバランス」が伝わってくる。ドイツ人は「利上げが足りない」と怒り、イタリア人は「利上げが多すぎる」と嘆く。フランス人は「景気刺激が必要だ」と主張する。この三者を同時に満足させる金融政策は存在しない。
日本から見ると、ECBの苦悩は「通貨同盟の限界」の教科書的な事例だ。独自の通貨政策を持つ日本はこのジレンマから自由だが、ユーロ圏の混乱はグローバルなリスクオフを引き起こし、円高圧力として日本にも波及しうる。
欧州債券投資を考えている日本の投資家は、「ECBの金利はどこまで上がるか」だけでなく、「ユーロ圏の周縁国が利上げに耐えられるか」という問いも同時に考える必要がある。
IMF出身の危機管理術
ラガルドはIMF専務理事時代にギリシャ債務危機、アジア通貨危機の後始末に関わった。危機管理の経験は豊富だが、金融政策の実務家としてのキャリアはECB総裁就任後に始まった。
この「非中央銀行家」としてのバックグラウンドが、彼女のコミュニケーション・スタイルに表れている。専門用語を避け、「家計の購買力」「食品価格」といった人々の生活に直結する言葉でインフレを語る。これは政治家としての本能だ。