「我々ファンドマネージャーへの最大のプレッシャーは、『常に100%市場に資金を投じていなければならない』という思い込みだ。しかし、割安な資産が見つからない時は、ただ現金を持ってじっと待つこと。これが最も難しいが、最も重要な決断だ」

セス・クラーマンが他の多くのファンドマネージャーと決定的に異なるのは、市場がバブル状態になり割安な投資先が見つからなくなると、平気でポートフォリオの30-50%を「現金」にしてしまう点だ。ヘッジファンド業界では、現金保有は「怠慢」と見なされる。しかしクラーマンはこれを「最高の武器」と呼ぶ。

何もしないという究極の行動

多くのプロ投資家は、現金を持ったまま相場の上昇に乗れず、顧客から「なぜ投資しないのか」と責められることを恐れる。そのため、割高だと分かっていても無理に株を買ってしまう。

現金は単なる「利子のつかない紙切れ」ではない。現金とは、将来市場が暴落してバーゲンセールが起きた時に、誰よりも早く最高の資産を底値で買い叩くための「期限のないコール・オプション」なのだ。

— Seth Klarman

2008年:現金という武器の威力

2008年の金融危機で、この戦略の威力が証明された。ほとんどのヘッジファンドが資金繰りに窮して優良資産を投げ売りする中、バウポストは大量の現金を使って、信じられないほどの安値で資産を買い漁った。

具体的に何を買ったか:

  • ディストレス債(破綻寸前の企業の債券): 額面の20-30セントで購入し、回復後に80-100セントで売却
  • 商業用不動産ローン: 銀行が処分に困っていたローン債権を大幅割引で購入
  • 優良企業の社債: 一時的なパニックで急落した投資適格社債

バウポストの2009年のリターンは+27.1%。S&P500が-37%だった2008年から、クラーマンのポートフォリオは見事に反転した。

「FOMO」との戦い

現金を持ち続けることの最大の敵はFOMO(Fear Of Missing Out=取り残される恐怖)だ。

特に2020-2021年のように市場が急騰する局面では、「全額投資しないと損をする」という圧力が極めて強い。SNSでは毎日、テンバガー(10倍株)を掴んだ投資家が自慢し、現金保有は「臆病者の選択」と嘲笑される。

しかしクラーマンは言う。「バブルの終盤で全額投資し、暴落で全額失うのと、バブルの一部を見送り、暴落で底値を拾うのと、どちらが賢いだろうか」

筆者の見立て

「休むも相場」という格言があるが、これを実践できる投資家は極めて少ない。SNSを開けば他人が爆益を出している報告に溢れ、焦って何かを買いたくなるのが人間の心理だ。

しかしクラーマンは、「バリュー(真の価値)」が見つからない時は、何年でも現金を抱いて待つ。この常人離れした「忍耐力」こそが、バリュー投資の最大の武器なのである。

個人投資家への実践法:

  • ポートフォリオの現金比率を意識する: 市場が過熱している時は20-30%を現金で保有
  • 「バーゲンリスト」を事前に作成: 暴落時に買いたい銘柄と目標価格をリスト化
  • FOMOに負けない仕組み: 自動積立を設定し、「追加投資」は月1回のチェック日のみ判断する
  • 「機会コスト」を再定義する: 現金の「何も得ない」コストと、暴落時に現金がない「買えない」コストを比較する

クラーマンは年1回しか投資家レターを書かず、メディアにもほとんど出ない。この「静かさ」自体が、彼の投資哲学を体現している。

バフェットとの共通点

クラーマンの「現金=コール・オプション」論は、バフェットの「打席に立っても振らなくていい」という哲学と同じだ。野球では三振があるが、投資では「見送り」にペナルティはない。

「最高の投資機会は、10年に2-3回しか来ない。その2-3回のためだけに、残りの7-8年を忍耐強く待つ。それがバリュー投資家の人生だ」